KUSHITANI BRAND
1960
渾身のレザースーツ 1955年浅間で登場
クシタニが1ピースのレザースーツの製作を始めたのは1953年のことだった。依頼主はスズキだった。当時国内にはレザースーツなどなく、外国のカタログを参考に見よう見真似での製作であったという。最初は単純に革ジャンと乗馬用革パンツを繋ぎ合わせて1ピースとした。仔牛革で、薄くしなやかなことが特徴だった。日本に完全舗装のサーキットなどない時代であり、舗装路レースは九州・雁ノ巣など米軍飛行場で開催されていたぐらいで、ロードレース自体が存在していなかったのだ。 試行錯誤の末に完成した1ピースのレザースーツは1955年11月の浅間高原レース(第1回全日本耐久ロードレース)で真価を発揮した。依頼主の伊藤利一をはじめ、神谷敏夫、山下林作らが着用し高評価を受けた。 この後、ホンダを皮切りに日本の各メーカーはマン島TTや世界GPに参戦を開始する。当然クシタニのレザースーツも浅間時代より身体にフィットしてスマートになっていった。1962年にはクシタニ製レザースーツがマン島TTレースにデビュー。スズキのエルンスト・デグナー(GP50優勝)や伊藤光夫(同クラス5位)が着用した。翌1963年には伊藤光夫が日本人初のマン島TT優勝(GP50)を果たす。このときもクシタニ製を着ていた。 1962年9月には日本初の完全舗装レーシングコース、鈴鹿サーキットが完成する。1963年には世界GPが開催され日本のロードレースはついに夜明けを迎えた。
硬質ニーカップが登場 プロテクションも進化
1970年代に入ると、それまでの黒1色から徐々にカラフルなレザースーツを着るGPライダーが増えてきた。さらにレザースーツにメーカー名やライダー名を入れるようにもなっていく。また革は、依然として仔牛革を好むライダーもいたが、より引き裂き強度に優れ、摩擦にも強い成牛革が主流になり、厚みも増していった。 最も大きな変化はプロテクションだった。マシンは高速化し、タイヤのグリップが上がり、結果的にバンク角が深くなっていく。その深いバンク角で転倒すれば、即座に膝を路面に打ち付ける。そこで膝には樹脂製のハードなプロテクターが内蔵された。そしてヤーノ・サーリネンが腰をイン側に大きくずらしたハングオフライディングスタイルを見せ、ダートトラック出身のアメリカンライダーたちがそこから膝を路面にわざと押し付けるニーダウンを行うようになると、レザースーツも変化する。ただしニースライダーなどはなく、そのままでは革が破れてしまうため、ガムテープを厚く重ねて貼ったり、補強で上から革を縫い付けて対処した。中には革靴の底に使う硬い革を取り付けたライダーもいた。 またシルエットも変化していく。身体にフィットするように型紙が工夫され、前傾しやすくなった。そして腰から背中にかけてウレタンスポンジを縫い込んだ大型パッドも登場。レースの高速化により、レザースーツも大きく進化していくのだった。
1980s
シャーリングやニーセンサーが登場し高機能化
ハングオフしてニーダウンするライディングスタイルが当たり前になり、レザースーツも新しいスタイルと装備に変貌したのが1980年代だ。まず1983年にニーダウン対策として、ベースを縫い付け、そこに専用型で成型した樹脂製ニーセンサーをボルト留めした。これは国内メーカー初の装備だった。その後1985年にはベルクロ留めの牛革製に変更。これなら交換も簡単である。これは滑り具合が良く好評を博す。ただしそれほど厚みがないので、ライダーによってはすぐに減り、また高価でもあった。そこで滑りも良く耐久性に優れる樹脂製が開発され、1988年から採用された。このスライダーこそ、現在の3Dニーセンサーのルーツだ。 一方ハングオフするなど激しいライダーの動きを妨げず、身体にフィットする工夫も進む。そのひとつがシャーリングだった(1983年)。これはストレッチ素材を革と一緒に縫い合わせたもので伸び縮みするのが特徴。これを可動範囲の大きな肩、腰、膝などに採用することで断然動きやすくなった。ただしシャーリングの反力の強さは革の厚みや質、パンチングメッシュ加工の有無などで変わるため、動きやすさと強度を両立させるには高い経験値が必要である。 プロテクションは肩、腰、肘にフェルト綿入りのアウターパッチを当てたり、圧縮スポンジのインナーパッチを装備したりした。膝はプラスチック製ニーカップを内蔵し、これも1987年には膝だけでなく脛まで保護するものに進化した。 加えて同年、レザースーツの根幹である型紙も見直された。いわゆる立体パターンで、平面ではなく立体的に身体を包む、ライディングフォームに合わせたものとなった。肘や膝部分の角度も見直され運動性は大幅にアップした。また猛暑の鈴鹿8耐が思わぬアイデアを生んだ。ライダーが暑さに耐えきれず、レザースーツに穴を開けたのだ。これを見たクシタニスタッフは、引き裂き強度を心配し、比較的強度を要求されない箇所に手作業で穴を開け直した。これが後に登場するパンチングメッシュレザーの原型となった。このメッシュ化は、装備増加で重くなりがちだったレザースーツの軽量化にもつながっている。
1990s
プリントデザインの採用、Xパターンの開発
1990年代はスーツのデザインが一気に変貌する。それまでは革の切替えでデザインやカラーリングが決まっていたが、シルク印刷でグラフィックデザインをプリントする新手法が採用される。革と革を重ねて縫う必要がないため軽量になり、同時に革本来のしなやかさが生かせることにより、フィット性や運動性が飛躍的に向上した。現在では、フィット性に優れた撥水革の開発によりこれらの諸問題をクリアし、シャープな革の切替えデザインが主流になっている。スポンサーのワッペン等は、当時は縫製されていたが現在はプリント されたものが主流になっている。 さらに1991年には可動域を大きくするため、要所にケブ ラーニットが採用されるようになった。ニットはその名の通り伸縮性を持つ素材であり動きやすさは抜群。このケブラーニットを使うことで、新しいパターンも開発された。これが現在のパターンの基となる「Xパターン」である。また、1996年にはさらに強度が高いザイロンニットが採用された。ケブラーも十分に強いが、ザイロンはさらにその2倍以上の強度を誇る。通常は革よりも強度が低下する可動部分を極力強く安全にしたいという開発者の意思が見て取れる。また、ケブラーニット採用時と同様に、ザイロンニット採用時もパターンが見直されている。もちろん、より動きやすいレザースーツにするためである。 プロテクションも新素材の開発・導入により進化した。1993年には高性能衝撃吸収材「Kフォーム」が開発された。これは肩、肘、腰のインナーに使用。これで安全性が格段に高まったが、一方、1988年には膝のプロテクターにポリエチレンフォーム+樹脂製硬質パッドを採用。外側のハードな樹脂が衝撃を反発させ、ソフトな内側で衝撃を吸収させるのだが、2つの素材の組み合わせは、ヘルメット同様、適切でなければならない。さらに1996年には肘にポリエチレンフォーム+形状記憶フォームパッドHP-1を採用。このHP-1は現在でも使用されている優れた技術である。 1990年代はタイヤやサスペンションなどの進化が著しく、エンジンパワーもGP500では200馬力近くまで上昇。転倒もハイサイドなど危険なケースが年々高まっていった。過酷な状況で走らなければならないライダーを陰で支えていたものこそ、これら新素材、新技術であったと言っても過言ではないのである。
2000s
ストレッチも十分可能な動けるレザースーツへ
2000年代に入って、世界のロードレースはマシンもライディングテクニックも大きく進化した。最高峰クラスは2ストロークGP500から4ストロークのMoto GPへと変わり(2002年~)、GP250も4スト600㏄のMoto 2(2010年~)、GP125も4スト250㏄のMoto 3(2012年~)へと4スト化が進んだ。同時に、若いライダーたちが新しいスタイルで走り始めた。バンク角はMoto GPでは60度以上とより深くなり、肘も深い角度で曲げられ時に路面に擦るまでになった。ここまでライダーが身体を動かしたことは過去になく、レザースーツも可動域を見直す必要に迫られ、当然、肘にもエルボーセンサーが必要になった。こうしてレザースーツも、ザイロンニットをより広い範囲で使用し、パターンを見直し運動性を高めた新世代のレザースーツへと生まれ変わった。それはまさにスポーツウェアと呼ぶべきものであり、その運動性の高さは、着たままストレッチ運動ができるほどである。 プロテクションもより強化された。2008年にはKフォームの進化版、水や汗を吸いにくい低吸水性能衝撃吸収材「Kフォームプラス」が開発され、現在も使用している。また現行トップモデルは肩や腰に加え鎖骨、脇、尾てい骨にKフォームプラス、肘にHP-1、膝にポリエチレンフォーム+樹脂製パッドを使用。怪我をレザースーツで100%防げるわけではないとはいえ、その軽減には大きく貢献する。 2000年代以降常識化した背中のエアロパッドは空力パーツであると同時に、転倒時に最初に頭が路面にぶつかりにくくすることで頭や首を守るのにも有効だが、さらにインナーを取り外してエアインテークにしたり、給水用のキャメルバッグを装着することもできる。キャメルバッグは鈴鹿8耐では必須装備で、スプリントレースでも気温が高い時期には利用するライダーが増えている。 ハイエンドモデルのレザースーツは、牛革の内部にまでフッ素加工を施し優れた撥水性を持つプロトコアレザーを採用。撥水加工されていることで雨のレースでも雨や汗が浸み込みにくくなり、劣化を軽減させた。また、このプロトコアレザーは伸縮性に富み、フィット感や運動性の向上にも大きく貢献する。 今後はさらにプロテクションも進化するだろう。防御性と運動性を高次元でバランスさせたリアルセーフティーこそ、クシタニが追求するレザースーツなのだ。
阿部典史
阿部典史
阿部典史
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山口辰也
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阿部典史
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大島行弥
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ワイン・ガードナー
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松戸直樹
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中須賀克行
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ダグ・ポーレン
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ランディ・マモラ
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©ヤエスアーカイブス
~現在
日本ならではの心意気の宿るレザースーツ
6年前からクシタニのレザースーツを愛用している。クシタニ世田谷店は編集部から歩いて数分の場所にあり、新製品がリリースされるタイミングやコラボアイテムの相談で度々訪れている。初めて訪れたのは随分前だけれど店内に並んだ製品の数々を見て触り革の質感というか触り心地に驚いたのはいまでも忘れられない。レザーの厚み、柔らかさ・・・・。それは指先に吸い付くようにしっとりとしており僕はこれこそがクシタニのいちばんの魅力だと思う。これは店頭で誰でも確かめられることなのでぜ店内に並んだ製品の数々を見みていただきたい。実際にレザースーツを着てもその柔らかさが心地よい。また革の質感が高いのも嬉しい。そして驚くべきはその質感が何年も保持されるところだ。5年前のツナギもいちばん新しいツナギも触り心地に大きな差がないのだ。また身体を動かす際にタイムラグや引っかかる感覚がなくサーキットでアベレージスピードが高くなてもバタつきなどが起きない。だから走りに集中することができるのだ。スポーツにはユニフォームが必要だが、まさにバイクでサーキットを走る際のユニフォームで、ライダーの運動性、そして安全性を確実に向上してくれているのを実感することができる。 また、僕はクシタニとコラボアイテムを展開しているがその時の発想もとてもマジメで僕は何も考えずに革を何色も使ってしまい、革が重なるほどにその部分のしなやかさはスポイルするはずだが、でき上がってくる製品は必ず運動性が考慮され、そのライダーを思う思想はレザースーツもレザージッケットも変わらないのだ。日本ならではのもてなしと心意気が製品に宿り、ライダーはそれを体感できる。僕はこれがクシタニの強さなのだと思ている。
©RIDERS CLUB